ベトナム:ワークショップin Hue(後編「いざプレゼン!」)
後編「いざプレゼン!」
3日目(9/8)
この日は朝から晩まで翌日のプレゼンの資料作りにひたすら勤しむ事になった。私は伝統文化に関する詳細な情報を調べ上げHUYENの作成していたPowerPointスライドに新たな項目を追加していき、柴田さんは4つのスペースのデザイン案を描き、DUONG達他のメンバーはストリート全体の空間デザインの作成を行った。
しかし作業を進めていく中である問題が生じた。私と柴田さんが思い描いていたストリートのコンセプトとフエの学生達が思い描いていたストリートのコンセプトとに齟齬があったのである。例えば、採用されたと思い込んでいたスタンプラリー案は彼等の頭の中にはなく、私の思い込んでいた京都とフエの伝統文化の融合というコンセプトも伝わりきっていなかったようである。なぜこのような事が起こってしまったのか。それは私が意見の共有、統合、決定事項の確認をする事や自分の考えを相手に伝わるまで説明するといった事を暗に怠ってきたからだと思う。そしてそれは前述したような英語を使ってコミュニケーションをとる事への尻込みから生じてしまったのだろう。
その日は20:00頃まで大学に居残り何とか互いの齟齬を修正し合いながら資料を完成させる事は出来た(写真1)。しかしプレゼンの原稿だけは未完成のままとなってしまい、THUが家に持ち帰って作成してくれる事となった。
4日目(9/9)
朝方にTHUから原稿が届いた。しかしやはりそこにはコンセプトの齟齬が未だ表れており何とかその齟齬を解消しよう試みた。しかしプレゼンは早朝から始まったため原稿を練り直している時間はなく、結局プレゼンはTHUが全体的な進行を行い、補足説明を私が行うという形式をとった。そのため所々で言っている事に食い違いが生じる場面があったもののプレゼンは何とか終了する事が出来た(写真2〜4)。確かに全体的に見ればとても大きな齟齬というものはなくアイディアも称賛された部分はあったものの、やはり詰めの甘いプレゼンになってしまった感は否めないなと感じた。
思い返せば彼等は私達に本当に親切に接してくれた。毎日ホテルまで迎えに来てくれたし、ご飯にも連れて行ってくれた。しかもその代金は全て彼等が出してくれていたのである。私達がお金を渡そうものなら全力で拒否し決して受け取らなかった。私達は何か彼等に返したかった。しかし私達は翌日の朝にフエを離れてダナンに向かう事になっていたため、この日が彼等との別れになってしまった。やっと心から仲良くなれそうだったのにと強く嘆くと同時に、いつかまたこの地に戻ってこよう、そして今度は彼等に何かを返せるように努めようとそう思った。
3.ワークショップを通じて学んだ事
私は今回のワークショップを通じてある刺激とある学びを得た。
ある刺激はフエの学生達の大学の学びへの姿勢、熱量に起因する。彼等は明確な将来に対するビジョンを持っており、それ故に大学の学びに高い熱量を持って臨んでいた。そんな彼等の姿を見聴きして私自身も自身の将来のための学びというものを追求していかなくてはならないなと感じた。そしてこういった事を私が彼等から感じられるのは彼等が私達と同じ学生であり、同じように悩み、笑い、生活している、私達とは本質的には変わらない存在であるからだと感じた。
ある学びとは、海外出身者と、それも第二言語を使って話す時こそいつも以上に相手に自分の思いを伝えようとする姿勢を重視していくべきだという事だ。第二言語で話しているからこそ伝えたい事が正しく伝わっているという保証はなくそこに今回私が体験したような齟齬が生じる可能性がある。私は将来中国企業と日本企業をつなぐような職種にも関心があるのだが、事業レベルの場合にはこの齟齬を排除し相互理解を追求する姿勢がより求められてくるだろう。
最後にこういった気付きを与えてくれたこの度のワークショップを主催してくれた関係者の方々、そして何よりフエ科学大学の学生達に心から感謝し、ブログの結びとさせていただきたい。
池永龍弥




