ベトナム:ぼったくられたっていいじゃない
初めての東南アジアツアーは、ベトナムの歴史ある地方都市”フエ”から始まった。今は観光地ダナンにある海の見えるホテルからブログを書いている。
ダナンや今朝までいたホイアンなどの観光地と比べ、フエは全体的に安価でアットホームな雰囲気があったように思う。あちこちに建っている華やかなお城のような門は、かつて各所に存在していた小さな村の門の名残らしい。
フエでの移動は基本的に学生の小型バイクの二ケツだった。ベトナムがバイク大国として有名なのは知っていたが、こんなにも数が多いとは予想していなかった。車よりも多かった。道ゆくバイクのドライバーを見ると、明らかに小さい、中学生ほどの子供もいる。驚いて現地の学生に尋ねると、ベトナムでは50ccの原付なら18歳以下でも、ヘルメットを被らずに、免許も取らずに乗ることができるという。
そんなバイクたちが信号もろくにない道路をビュンビュン走っているのだから、当然危険で事故も多いはずだ。しかしこれが、小さな事故はあっても人が死ぬような大きな事故は起こらないという。実際に目の前で一度バイクが転倒するのを目撃したのだが、転倒したおじちゃんは平然と車体を起こし何事もなかったかのように走り去っていった。彼らは皆、マイペースに走っているように見える。好きなスピードで走り、「俺が通るぞ」とクラクションを鳴らし、歩行者がいれば避ける。無秩序であることは間違いないのに、だんだんと危険を感じなくなってくる。
日本はこことは正反対に秩序が守られており、実に安全な国だ。その秩序は、定められたルールに皆が従った結果生まれる。皆が争わず平等に生きていけるように定められたルールである。私はときどき、無理に均衡点を決めつけたようなルールが結局は誰の希望する塩梅でもないように思え、窮屈に感じることがある。
これはバイクや交通の話だけではない。私は何の免許も持っていないので、正直バイクの話は何もわからない。ベトナムの道路の無秩序さは皆が己のペースを強い軸として動いているが故であり、それが不思議と良い具合に秩序的に働いているのだと無免許の私は感じた。私も持ち前のマイペースさをベトナムに連れて来られていたなら、より多くのものを得られていただろう。現地の学生は、大抵集合時間から10分~15分ほど遅れていた(私も)。
しかし他の場面での私は自分のペースを守れていなかった。ぼったくりを警戒するあまり人に心を開かず、警戒心を軸に傘を閉じていたと思う。「家族の手作りだ」「村の伝統あるものだ」お店の人の言うこと全てに疑ってかかった。まあ事実マーケットは高めの値段で設定されていることが多いし、ぼったくりもザラにあるので警戒心は必要だ。しかし人の話を疑うのには本当にエネルギーを使った。たかが数十円、数百円をぼったくられるリスクを排除するために傘を完全に閉じてしまうのは、私にとっては逆に不利益だったように今は思う。幸い今回の留学中にぼったくられることは一度もなかった。
無愛想な人もたくさんいたが、他者より自分を優先して生きている感じが私には案外心地よかった。もう少しコミュニケーションが欲しいなと思うことはあったが。私は今回の留学で、他国と日本のカルチャーの違いからくる人々のコミュニケーションスタンスの差に興味を持った。
前述したように、日本での常に他者を意識したコミュニケーションにうまくハマれず、窮屈に感じることが時々あるからだ。ぼったくりへの警戒心は、経験と知見次第でどうとでもなる。でも自分の心地よい他者の優先度合いや力の抜き具合は、その国や文化によって合うか合わないか大きく違ってくる。もしかするとどこの場所にもそぐわず、自分を変えなければならないかもしれないし、それでも自分を貫き通すことを選択するのかもしれない。これから、自分が一番そぐう場所を求めて旅をするのも悪くないなと思う。
カムン