セネガル:子どもがあふれる途上国セネガル


写真1 ダカールで物乞いをする子どもたち


写真2.どんぐりガムがほしい子どもたち



写真3.突如はじまった腕相撲



写真4.クルアーン学校で子どもたちが描いてくれた似顔絵


写真5.みんなカメラ大好き 

人生初めての海外、セネガルは刺激を得るには十分すぎるほどでした。これから足を運べる範囲内でどこの国へ訪れても、その国での感動や衝撃がセネガルでのそれを上回ることはないのだろうと感じるほどでした。 

このプログラムは、自分の興味のある行先とテーマを決め、それを探求していくことでした。私は、行先をセネガルとしたのですが、「子ども」に興味を持ちました。セネガルで過ごす中で現地の子どもたちと関わることが多く、そこで一番刺激を受けました。セネガルにはとにかく子どもが多く、少子高齢化社会の日本では考えられない風景でした。元のテーマに「結婚」が入っていて興味があったので、関連付けて【セネガルの子どもたちの現状とその多さの理由】について調べることにしました。 

セネガルの首都ダカールで出会った子供たち(写真1、2、3)は、学校が夏休みということでみんな集まってサッカーをしていました。見慣れないアジア人に興味津々ながらも遊びに混ぜてくれて、土まみれになりながら一緒に遊びました。子どもたちが、スマホやゲームではなく外で体を動かして遊んでいる光景が、今の日本と相反していて懐かしく嬉しかったです。近所の有名人らしき女性が袋の水を配りに来ると、子どもたちはそれを取り合いながらも分け合って給水をしていました。セネガルの人は分け合いや助け合いを大切にしているそうです。 

その次に子どもに接したのは、都会から少し離れたサンルイの子どもたち。ホテルのそばでは、我々が観光客でありお金を持っているという認識をされたようで、子どもたちに物乞いをされました。物乞いをする子どもたちは、クルアーン学校に通いイスラームを学んでいる子たちたちだそうです。我々の食べ残しもクルアーン学校の子どもたちに分け与えられ、ましてや捨てるなんてことはあり得ないことだそうです。 

ここで出会った子どもたちはダカールで出会った目のキラキラした子どもたちと比べて、目には光がないように感じられました。物乞いをされる経験は日本でしたことがないので動揺してしまいました。何かを渡しても混乱が起こったり大人に巻き上げられたりするかもしれないし、どうすることもできないという罪悪感と後味の悪さが残りました。しかし、クルアーン学校では子どもたちは物乞いをするそぶりを見せず、私がかく文字や絵に夢中でした(写真4)。私があげたペンを嬉しそうに大切そうに握りしめる素直な姿が愛らしかったです。さらには大人の言うことを聞いて我々をもてなしてくれました。しかし、学校の扉の外からは子どもたちの手が伸び、中にいる我々に物乞いをしていました。 

ホテルから離れたサンルイの村では、まるで自分がセレブになったのかと疑うほど歓迎される一方、中指を立てられたり「シノワ」(中国人)と冷やかされたりすることもありました。どのような扱いを受けても、日本人と比べてセネガル人は活発で自由で微笑ましかったです。 

国内を回り子どもたちと関わる中で明瞭になったセネガルの現状は、栄養や食料、水、教育の不足でした。なぜ水や栄養も足りていない現状でこんなにも子どもを増やすのでしょうか。その理由はセネガルで最も信仰されているイスラームにもありました。イスラームの教えでは、子どもは神からの授かりものであるためたくさん産むのが良いと言われているとJICAの方が教えてくださりました。そうすることによってムスリムの増加、子孫繁栄、国の繁栄に繋がるとされています。よって、セネガルでは一夫多妻制が推奨され大家族は当たり前なのです。常に人がいるコミュニティでの子育てはストレスが少なく、〈子どもを産む〉〈子どもを育てる〉ということ自体を日本より重く考えていないのだろうと感じました。

子どもたちが生きていくためにまだまだ足りないものの多いセネガルで、セネガル人が子どもを増やす理由は、セネガルの宗教などの文化、自由で楽観的なセネガル人の性格、価値観にあるということがわかりました。 どこの国でも子どもは素直で可愛く、まだ私自身ガキでありますが、子どもに考えさせられることが多いと改めて感じた2週間でした。四方八方から刺激を受け、短い期間でしたが、貴重な経験を取りこぼさないように常にアンテナを張っておくことが重要でした。そうすることで自分の幅広さと成長を感じられたし、まだ私はやれると再確認しました。セネガルを選んだ私を褒め称えたいと思います。 

ばおばぶ

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