セネガル:セネガルのモスク


セネガルは人口の95%がムスリムです。実際にセネガルを訪れてみると、街のあちこちにモスクが見られ、数字だけでなく、風景からムスリムの国であることを実感しました。

私が「モスク」の存在を知ったのは高校3年生の時でした。兄の影響で海外に興味を抱いていた私は選択授業で「世界の文化」を選択しました。世界の文化では様々な国の料理を作ったり、映画を観たり、世界一周した人にお話を聞いたりして、自分には凄く合っていて毎週金曜日が楽しみでした。なにより私の人生のキーパーソンとも言える「ひね」という人物がいます。ひねは「世界の文化」を担当していた外部の先生で、毎週金曜日に会っては日々刺激を受け、私はひねに憧れを感じていました。そんなある日、ひねがいきなり「小樽にあるモスクに来週行くからよろしく」と急遽伝えられました。ひねがなにを言っているのかさっぱり分からず頭の中は、モスクってなんだ。と?が募っていきました。

不安を残しつつモスクの日がやってきた。「イスラーム」という名前は知っていましたが、中に入ると私の知らない世界がたくさん広がっており、言葉を無くしたのを覚えています。その日は礼拝が終わっており、モスク見学とご飯をいただき終了しました。帰ってからも忘れられず、自分で調べたりして興味を深めていきました。

京都精華大学に入学しセネガルに行くことをひねに伝えると羨ましい限りと言われ、簡単に行ける場所ではないことや、費用面でも安いものではありません。しかし、自分が今好きなことに自由にできることへの感謝などを改めて感じ、このセネガル短期フィールドワークを無駄にはしないという固い意志が生まれました。

実際に初めて礼拝を見たのはセネガルに行く途中のエチオピアのアジスアベバの空港の中でした。下に絨毯のようなものを引き、礼拝をしている人たち。これからこの光景が当たり前になるのかと胸を躍らせ次の飛行機に乗り込みました。

セネガルに到着し、数日が経った828日。ついにイスラームに関わることが起こりました。チューターとして参加されていた、モル(Mor)さんとが礼拝をするということで実際に私も隣でやらさせてもらいました。まず礼拝の前にお清めをするウドゥ(洗浄)というものを体験しました。手、足、顔など定められた順序で洗います。その次に礼拝です。隣の人と足の小指同士を合わせる。これは平等を意味しています。別の日にはモスクに行って礼拝をすることができました。これもモルさんの付き添いで行きました。モスクの入り口が賑わっており、今から礼拝が始まるのだと胸を躍らせました。前から二列目に並びシャペル(数珠)を付けたおじいさんと足の小指をつけて礼拝が始まりました。見よう見まねで、緊張と興奮が混じったまま礼拝は終わりました。

セネガルのモスクを実際に見るのが今回の最高到達点だと考えていましたが、実際にモスクの中で礼拝をできたことは忘れることのない経験となりました。 

大江平


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